地域との共生による有機ブランドのみかん作り その1

平成30年4月 佐藤農場のインターネット通販サイト「むっちゃん農場」が
鹿島みかん村」にリニューアルオープンしました。
佐賀県鹿島市の佐藤農場が取り組んでいる有機栽培のことを
より多くの方に知って頂きたく「鹿島みかん村だより」ブログを立ち上げました。
不定期ですが、社長の想いをお伝えしていきます。

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地域との共生による有機ブランドのみかん作り
平成26年2月1日 佐藤 睦

おかげ様で柑橘栽培を始めて、44年になります。みかん作りは一代目で、昭和43年から始まり、スタートはみかん園の80aと水田50aで、昭和43年から昭和61年まで18年間は普通の慣行栽培でみかん作りをして、その間農協サイドのみかん部会の役員も経験して地域のみかん指導もしながら、その頃は化学肥料と化学農薬の推進もしていました。これとこれの農薬は必ず散布しなさい、でないと農協へは出荷できません。
化学農薬と化学肥料は、みかん産地の県の基準通りに1年間の農薬の散布回数は12回~15回散布をしていました。化学肥料は10a当1年間に150kgから200kg施肥をしながら、みかんの果実の味、本来の事は二の次で、外観重視のみかん作りをしていました。

土壌と根っ子の事はあまり考えずに化学合成した資材で、土壌とみかんの樹を痛めていました。表面の見える所ばっかり気にして、又考えて仕事をしていました。化学合成した物を畑にやるとみかんの樹は嫌うし、土はガリガリ硬くなるし、まず細根は減る。細根が減ったらみかんの果実が水っぽくて、糖が上がらない。現在うちのみかんは慣行栽培のみかんより糖が2度高いです。色々、小手先の仕事をしなくても、糖と酸のバランスの良いうまいみかんが取れています。極早生は別として早生以降のみかんは15度以上も沢山あります。自然体で作っていますから、例えば他のみかんとうちのみかんを糖度と酸の一緒のみかんで食べ比べしても何かが違います。

除草剤も1年間に2~3回散布して、雑草を退治していましたが、その頃の除草剤は成分的に強かったので、散布した夜は頭がくらくらしていました。除草剤を散布した夜はお酒もうまくありませんでした。今は草を味方にしていて草による畑の地力増進と雨からの土壌流亡防止、又、土壌の有効な微生物がどんどん増えるし、草生栽培はいいことが多いです。全園草が1m以上伸びてから、春から夏に2~3回草倒しをします。刈らなくて倒しますから、次の草の発生ができない。起き上ったらまた倒します。春に2回初夏に1回倒します。3回倒したら草の分厚いジュータンができます。ふわふわして、寝転がったらものすごく気持ちいいです。そうすることによって、草刈りを1回もしない畑も今はかなりあります。平成25年は草刈りの回数は多い畑で2回で終わっています。
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害虫も強い農薬で殺したら、又次から次へと農薬に耐性を持った世代が代わったのができていく。又、新薬で殺す。その連続で毎年進化しないみかん作りをやっていて、一生懸命になればなるほど農薬が大量にいる。農薬代も沢山いる。仲間に会ったら農薬の話ばっかり。農薬を大量に撒く為に農業という職業を選んだのではない。こんな事を一生続けていくのかと疑問を持ち、昭和59年ごろから農薬を減らす事を考えて、1年間に12回散布していたのを半分の6回に減らし次の年は3回になり、次は1回になった。昭和62年にゼロにした。1年に1回からゼロにするのが1番むずかしい。その頃の技術でゼロにするというのは簡単ではなかった。学生の頃読んだ有吉佐和子著の「複合汚染」とレイチェルカーソン著の「沈黙の春」がずーっと心の奥にあり考える事があった。無農薬の世界は大変な事ばっかりで何が起きるかわからない。最初の頃は失敗の連続だった。順調に生育して喜んでいたのが、収穫の直前に害虫が発生して、収穫が皆無になったことも何回か経験した。その時は周囲の同業者からよく笑われた。無農薬なんて出来っこないと、失敗したらみんな喜ぶ。みかん収穫に来るおばちゃん達からも、無農薬は早く辞めんねとよく言われた。
≪その2へ続く≫
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by mikan-satou | 2018-04-14 13:40 | Comments(0)

佐賀県鹿島市で有機みかんを作っています。自然の中で育てるオーナーの想いを発信いたします。


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